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乳児死亡数の激減(2)
◆大正10年を境にに乳児死亡数が激減するのはなぜか(2)

大正10年(1921年)に年間33万人まで増加した日本の乳児死亡は、その後減少の一途をたどる。この変化は、あまりに劇的である。しかも、その後まもなく、正確には大正14年(1925年)から、日本人の平均寿命も上昇の一途をたどるようになる。では、この事実の理由に関係するものとして正しいものを選べ。

ア)大正8年よりシベリア出兵が開始され、塩素ガスが兵器として使用された。

イ)後藤新平が大正9年に東京市長になった。

ウ)後藤新平は、関東大震災後,内相兼帝都復興院総裁として画期的な東京復興計画を作った。


☆この問題は、竹村公太郎著『日本文明の謎を解く―21世紀を考えるヒント』の中の考察を参考にしてつくりました。

☆正解はコメント欄にあります。

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| 日本史:大正時代 | 13:09 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
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正解:イ)

シベリア出兵(大正8年、1919年〜)のとき、塩素ガスから液体塩素が開発され、兵器として使用する計画があった。製造プラントも出来たがシベリア出兵は大正11年には撤兵を完了した。そのため兵器としての液体塩素の製造プラントは無駄になったが、水道素の殺菌という民生利用に生かされた。

大正9年に東京市長になった後藤新平は、細菌学の医学博士でもあった。市長になる前、外務大臣であった彼は、外務大臣としてシベリア出兵の現地に出向いた。そこで国家の軍事機密である「液体塩素」と出会い、その2年後に東京市長となった。つまり液体塩素の民生利用の道を開いたのは後藤新平であった。
| 正解 | 2009/03/29 2:11 PM |
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